2013年03月07日

【主張】Web投げ銭システムの提唱に賛同します【金くれ】

そう、お金の話です。

実は私はお金の話が得意ではありませんが、色々生きていく上でお金がどうしても必要です。お金が必要じゃない人間って、今の日本にはそんなにいないと思います。
で、どうも私の手元にはお金が来ない。世の中でお金が回らないのだそうで。それじゃあなんか無いなりにちょっとでも世の中のお金を回すのに寄与したい。
そんなわけで苦手なりにそれなりに考えたので、一つの参考にしていただければと思います。

そもそも:

あーだこーだ時間かけて考えて吐き出して、世の中に訴えかけてるわけだし、それに私が世の中に出してるのはテキスト写真だけじゃなくて音楽もある。誰か出資してくれるんじゃないのか?と思うことがあります。しかしスポンサーってなかなか現れてくれないんですよね。かと言って広告収入ってどうも肌に合わないし。
じゃあ直接金くれって叫ぶか。にしても口座晒すのは怖いしなぁ…などと思ってたらちょうどPayPalを使ってお金を払う用事が出来たので、ついでにPayPalについて色々調べてたらこんな記事が出てきました。

ろじっくぱらだいす - Web投げ銭について考えてみた
(2002年、PayPalの日本でのサービス開始前の記事なのでそこんとこは注意してください。)

私もこの件に関しては結構ちゃんと考えないといけないとずっと思ってるんですが、私より前からこういうことを考えてテキストにされてた方がいたんだなぁと嬉しくなりました。

以下主張:

経済の話は疎いのでうすぼんやりとした話になってしまって申し訳ないのですが…

昨今、Twitterなんかで「古書店で買って読みました」「図書館で(或いは友達経由やレンタルコミックで)借りて読みました」などと作者に報告する読者がいて、それにカチンと来る作家さん達と、また経済的な事情で新品が買えない立場の人達もいるのにと批判する人達との間で対立があったりするんですが…これは「古書店で買うこと」「借りて読むこと」「作ったモノの対価を作者が求めること」が悪いわけではありません。にも関わらず、「書店で買ったわけではない読者が著者に読んだと報告する際に、その作品を手に取った経緯を作者に伝えること」が憚られるのは、作家の作品からの収入が基本的に印税システムによるものしかないからです。別の言い方をすると、作家の収入が印税に限られているからこそ、作家は「なるべく新品で買って読んでね」「買ってなくても買って読んだと言うか、単に読んだと言ってね」と"言わされている"のです。
そこで、Web上で投げ銭システムが普及すれば、たとえ中古で買おうが図書館で借りようが、気に入った作家さんに多少はお金が行くようになるんじゃないかと思います。

投げ銭システムは基本的に利用者を信頼しきった制度なので、採算が取れるようにするのはかなりの経営センスが必要だと思います。ただ、個人レベルに限れば、いまはPayPalのような外資系のサービスを利用すれば簡単に利用できるので、まずはとにかくやってみようかなと思います(こういう日本ではあまり馴染みのない外国的な手法を採りたい時に、海外で既に成功している企業が日本でもサービスを展開してくれるのは、嬉しいです)。
タダ乗り(フリーライド)もできてしまうのは問題だと考える方もいらっしゃると思いますが、それ以上に気に入ったモノにお金を払う喜び(喜捨の考え方に近いです)が共有できれば、システムが維持できるようになっていくんじゃないかという希望的観測です。その為には、少しお金を出したいと思った人が少し出せて、いっぱいお金を出したい人がいっぱい出せるようなスポンサーシステムが必要なのです。企業なら株式がそれに相当しますが、個人でもそういうのがあれば楽しいじゃないですか。
また、Twitterで猛威を振るっている(←主観)コピペbotみたいなのの作者に投げ銭をすることの是非…アイディアや作品の盗用に関しても、今まで以上に厳しく問われていくと思います(これも希望的観測)。

もちろんその為のメディアリテラシーは必要なんですけどね。教育論的アプローチもあると思います。

まぁ理想論ではあるんですが、色んな所で色んな人が「こういう考え方の人もいるんだぞ」と表明することで、世の中ちょっとよくなるんじゃないかなって思います。それに、何も既存のシステムをこの投げ銭システムに統一したいと考えているわけではありませんし。何なら前金システムや月額課金システムと併用してもいいのです。自由ですから。

とにかく、まずは投げ銭システム(少額出資システム)を求めている人間がいると表明することが大事なのです。

以下余談というかいつもの話:

日本のような名前を出して寄付したり寄付を求めたりすることを潔しとしない人が多い社会でも、そういうことをもっと堂々と言える社会にしたいです。その為には、この主張と似たような考えを持つ人が可視化される必要があると考えます。となると、やはり私はスポンサーが欲しいと"カミングアウト"せざるを得ません。

"カミングアウト"と言う表現が大袈裟に思える方もいるかも知れませんが、私はそう思いません。この日本において、多数派ではない属性、社会の主流ではない考え方や、皆の美徳とされるものに反する考え方を持つ人達は、それらをクローゼットの中にしまい込んでいるのですから。
(クローゼットとカミングアウトというのは、セクシュアルマイノリティの文脈でよく使われる表現です)

ただ、必ずしも少数者に対して"カミングアウト"を強いるものではありません。強いているのだとしたら私ではなく社会が強いているのです。そして、私も、周囲で殆ど誰も「金くれ」「ここに変わった人間がいるぞ」と言わない状況で一人で言うことを強いられている一人なのです。

2013.03.07 15:55 追記:
ろじぱら的「Web投げ銭」の定義によれば、今あるコンテンツ(モノ)に対して投げ銭をするのであって、将来に対して期待する意味では投げ銭をしないということだそうです。私もその通りだと思いますが、考える際にその他の資金提供とうまく区別ができていなかったので、気をつけます。


ラベル:社会 主張
posted by 諸葛やか(かんぴんたん) at 14:04| テキスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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